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日々是好日

9月30日(土)

『この指とまれ方式の政治』

 今朝は、石鳥谷町内で街頭演説をやり、そのまま石鳥谷で挨拶回りしてきました。午後は、会合に一件参加し、そのあと、障害者自立支援法を考えるシンポジウムに出席する予定でしたが、報告会の段取りの手違いで問題が生じ、あちこち飛び回っていました。夕方からある会社のバーベキューにお邪魔させていただき、夜は、若い仲間の無尽に参加してきました。私の選挙を通じて知り合った仲間たちです。いろいろ実りあるお話をすることができました。

 先日、太田に住む男性から、事務所に電話がありました。私のチラシを読み、共感していただいたらしく、ボランティアで手伝ってくれるというありがたい申し出でした。早速、私の県政報告のチラシを配っていただいています。これが私の目指す「この指とまれ」方式の政治です。考えでつながるこうした支援者を少しでも増やしていきたいです。


9月29日(金)

『300年前の製法でつくるチーズ』

 今朝は、大迫地区ローソン前、大迫総合支所前、大迫商店街いせかん前で街頭演説をやりました。今朝は9のつく日ですので、朝市の日です。にぎにぎしい商店街の朝でした。今朝もまた、商店街で街頭演説をしていると、多くの方が足をとめて、演説を聴いてくれました。お店の中から出てきて聴いてくれる方もいました。そして、演説が終わると、いつも以上の大きな拍手があがり、普段こんなことは滅多にないので恐縮してしまい、深々と頭を下げました。

 演説終了後、電話をいただいたので、内川目のチーズ工場にお邪魔してきました。どっちの料理ショーにも出演したあの有名な早池峰醍醐をつくっている工場です。Yさんがチーズをつくっている最中でしたが、朝ごはん代わりにとチーズを出してくれました。ふりかけのかかったナチュラルチーズ、けずりぶしのかかったルコッタチーズ、わさび醤油がかかったモッツァレラチーズ。300年前の製法でつくるできたてのチーズは、格別の味でした。工場内には、私のポスターも貼ってくださっていて、感激。しかも、選挙のときのポスターなので、肩書きが「岩手県議会議員立候補予定者」となっているのですが、立候補予定者のところをしっかりガムテープで隠していました。

 それから、大迫の森林組合に行き、作業現場を見学してきました。大迫からの帰り道、順調に稲刈りが進んでいる様子が分かりました。はせにかぶせられた稲の束があちこちにありました。お昼過ぎから会合に一件参加し、そのあと挨拶回り。夜は、中学の同級生が集まり、楽しい時間を過ごしました。


9月28日(木)

『先送りに待った』

 今朝は、花巻市役所前、上町商店街、里川口交差点で街頭演説をやりました。終了後、議会へ。今日から9月定例議会がスタートします。午前中は議会運会委員会に出席。午後は本会議のあと、新しい岩手競馬組合改革(案)の説明会がありました。新しい融資案について、議員から厳しい意見があがりました。

 終了後、議会制度等検討小委員会に出席。今日は、費用弁償の見直し、議会バス利用のあり方、委員会における給茶の見直し、閉会中の委員会等開催日程の見直し、議会運営委員会の開催日の見直しについて、協議してきました。

 費用弁償については、「議員それぞれ様々なとらえ方があり、なかなか足並みをそろえるのは難しいのではないか」ということから、「今任期中に結論を出すのは難しい。来年の選挙が終わってから、新しい議員にやってもらうのが妥当ではないか」という意見に集約されつつありましたが、納得できなかったので、待ったをかけました。「これから県民のさらなる負担につながりかねない競馬の問題を議論しようとしているときに、この程度の問題を先送りでは県民の理解が得られない」と発言し、今任期中での見直しをするべきだと訴えました。この主張を委員長に尊重していただき、次回以降、引き続き協議することになりました。

 終了後、花巻に戻り、岩手日日花巻支社30周年記念式典へ。閉式間際になんとか到着することができました。夜は、総合体育館で日曜日の大会に向けて、フットサルの練習に参加。そのあと会合で、数人の若手同志と親交を深めてきました。


9月27日(水)

『街かど先生』

 今朝は、一日市商店街、浅沢鳥海神社前、松園町コイン洗車場前、桜台一丁目交差点で街頭演説をやりました。普段、二着のスーツを着まわしているため、私の着るスーツはいつもよれよれ。みなさんにみっともないから買えとお叱りをうけていたので、昨日コナカでスーツを二着買ってきました。なんと、二着目のスーツは1000円でした。新しいスーツできめかけ、気分よく外に出ると、外は雨。小雨くらいだと、いつもはそのまま演説するのですが、今日は雨合羽を着てやりました。

 子供たちは、天候に関わらず、元気です。子供たちの間で、私は「街かど先生」と呼ばれているようです。当選後、先生と呼ばれることがむずがゆく、「先生と呼んだら返事しませんので」などと抵抗していましたが、最近はそのたびに抵抗するのも疲れ、受け入れるようになってしまいましたが、やはりむずがゆさは消えません。ところが、子供たちに「先生」と呼ばれるぶんには、不思議とこのむずがゆさがないのです。やはり、金八先生が3年B組の生徒に説教していたように、「先生とは、先に生まれると書く。つまりは人生の先輩に対する敬称」という解釈がしっくりきます。

 愛車のアルトが車検中のため、おとといから代車の軽トラに乗っていますが、座高が高く、なんだか気分がいいです。ただ、普段オートマに乗っているので、マニュアルはやはりめんどうです。明日から9月定例会が始まるので、今日はそれに先立ち前日議会運営委員会がありましたが、どうしても抜けられない会合が入り、欠席しました。欠席と言っても、会派に所属しない私はあくまでオブザーバーという立場なので、出欠はあくまで自由です。欠席しても、議事進行にはなんの影響もありません。

 午後は、たまりにたまった各種原稿の執筆にようやくとりかかりましたが、思うようにはかどりませんでした。前に書く仕事をしていたときがありましが、日ごろ書いていないと書けなくなってしまいます。夜は、お世話になっている会社のいものこ会に参加させていただきました。たまたま、大阪からきた取引先の方と同じテーブルでしたので、花巻空港についていろいろご意見を伺うことができました。私の考えていた角度とは違う角度で花巻空港をとらえていました。やはり、いろいろな立場の方の話を聞いてみるものです。

 今日も、ある方から無所属について、いろいろ厳しいご意見をいただきました。議会での無所属、選挙での無所属。確かに楽ではありませんが、自ら立てた志を貫いていきたいと思います。そうは言ってみたものの、日々こうしてみなさんから言われると、正直不安になることがないと言えば嘘になります。このやり方で本当にいいのだろうか、いやいや迷うことはない、自分の信じる道を進むだけだ、と逡巡する日々。孔子が論語で言っている「三十にして立ち、四十にして惑わず」の言葉が身にしみます。


9月26日(火)

『呉越同舟』

 今朝は、二枚橋交差点、西宮野目交差点、狼沢交差点、松園町交差点で街頭演説をやりました。終了後、大迫地域戦没者追悼式に出席するため、大迫ふるさとセンターに行ってきました。

 お昼前に事務所に戻り、夕方まで事務仕事。その間、約束があり、出たり入ったりしていました。夜は、熊野公民館で県政報告会をやりました。10人の方に参加していただきましたが、熊野のみなさんは暖かい人が多く、またみなさん仲がいいので、とてもアットホームで、笑いの絶えない報告会となりました。

 私の報告会では、参加者がお互い顔を見合わせて、「なんだお前がこういう会に参加するなんて、珍しいな」と言っている光景をたまに目にします。おそらく、これまであまりこういった会に顔を出さなかったような方もいらしてくれているということなんだろうと思います。また、呉越同舟もよくあります。私を応援してくださっている方々は、党派を越えているので、政治的に合わないもの同士がばったりということもよくあるわけです。自民党の方、民主党の方も、社民党の方も、はたまた共産党の方までやってきます。これこそ、私が目指している「この指とまれ」方式の政治です。こういう方々が少なくないということは、裏を返せば、それだけ、今の政党は考えを共にする人が集まるという本来の政党の体をなしていないということなんだろうと思ったりします。

 質疑では、役所の体質に対する批判がたくさんあがりました。財政難に対する取り組みについても、厳しい意見が出ました。また、無所属に対する心配の声もあがりました。いずれ、役所改革にしても、財政再建にしても、現状を変えるということは、既得権との戦いということなんだと思います。そしてその既得権を打破するめに、力のない私は今、あえて無所属という道を選んでいるということです。


9月25日(月)

『変わり果てた姿』

 今日は、主要地方道盛岡和賀線、いわゆる笹間バイパスの整備促進を要望するため、地元のみなさんと一緒に振興局花巻振興局、花巻市、県南広域振興局に行ってきました。この笹間バイパスは、盛岡市と北上市を結ぶ幹線道路で、増加する交通量に対応し、安全で円滑な交通確保を図る目的で、工事が始まりました。しかし、県の財政難を背景に、大幅に工事が遅れています。

 現在、他の路線の交通量が減っているなか、さらに笹間バイパスの交通量は増えており、一日平均一万台の交通量で、そのうち4割が大型トラック。事実上、国道4号線の代替道路となっています。このあたりは、学校や保育園もあり、安全対策の観点からもバイパスを整備促進していく必要があります。私もたまに笹間タクシーの前で街頭演説をしますが、確かにここの交通量はたいへん多いです。それほど道路幅がないのに、大型トラックが多いのもよく分かります。

 私は花巻空港の新ターミナルビル建設には反対していますが、同じ公共事業でも、この笹間バイパスについては、推進の立場です。なぜなら、優先順位が高いと判断するからです。県も優先順位が高いとの認識に立っており、引き続き整備促進に努めるとの姿勢でありました。

 午後は、花巻に戻って、会合に参加。夕方から、挨拶回りをして、夜は事務所で事務仕事をしました。夜、訃報が入りました。お世話になった方の奥様でしのたで、顔を出してきました。私の当選をとても喜んでくださり、自分の息子のようにかわいがってくれていた方でした。選挙が終わったあと、病院でお会いしたのが最後でした。丸2年、癌と闘い続け、最後は骨と皮だけの変わり果てた姿になっていました。最後の何ヶ月かは、自宅で過ごされたそうです。ご本人も肉体的、精神的痛みでたいへんだったでしょうが、介護をしていたご家族のご苦労も相当なものだったと思います。

 幸い、担当のお医者さんが携帯電話を教えてくれ、休みの日でも何かあればすぐに駆けつけてくれたそうです。薬局の方も痛みを緩和させるための処方について、親身になって考えてくれたそうです。地元の診療所の先生も、様子を心配して、毎朝電話をしてくれたそうです。周囲の協力があったからこそ、本人の希望通り、自宅で最後の時間を過ごすことができたと言っていました。これをシステム化してしまったのが、先日広島で見てきた在宅緩和ケアです。今回のケースは、たまたまお医者さん個人、薬局、地元診療所の医師がいい人だったからこそできたことで、そうでなけば、自宅で過ごすことができなかったかもしれません。やはり、これをシステムとして構築していくことが必要だと改めて思いました。

 最後に、今日の朝日新聞朝刊一面に、障害者負担に地域格差が出ているとの記事が出ていました。障害者自立支援法で障害者に義務付けられた福祉サービス費用の原則1割負担をめぐり、全都道府県と政令指定都市など主要市、特別区のうち、約4割が独自の軽減策を実施したり、導入を決めていることが朝日新聞の調査で判明したそうです。来月からスタートする障害児施設の利用料負担増でも、同様の軽減策に踏み切る自治体が相次いでいるとのこと。こうした背景には、必要なサービスも受けられないケースが続発しているという現実があります。

 同法が定めた一定自己負担は、就労支援や所得保障が前提。それがまだまだ不十分なため、自己負担が許容量を越えてしまうケースが相次いでいるわけです。国は、こうした生活実態に応じた対策を早急に講じるべきことは言うまでもありませんが、当面、地域独自で手当てをしていくことが必要になってきます。岩手県も厳しい財政事情を抱えているわけですが、ことは人間の尊厳に関わる問題ですので、負担増の部分を市町村と折半するなどの対策を講じていく必要があるでしょう。必要なサービスは住んでいる地域に関わらず、あくまで平等に提供されるべきです。私は、3月に行われた常任委員会の場で、すでにこのことについて指摘しています


9月24日(日)

『最後の打者』

 今朝は、石鳥谷でゲートボールと畑作業にお邪魔してきました。それから、花北地区のソフトボール大会に急いで向かいましたが、試合会場の桜台小学校に着いたときには、地元愛宕町の試合は最終回の攻撃、最後の打者が打席に入ろうとしているところでした。そこで急遽、代打として起用していただき、準備運動もなにもないまま、バッターボックスへ。結局、ショートゴロに倒れ、ゲームセット。13対1の惨敗でしたが、「参加することに意義がある」と愛宕町のみなさんはまったく気にされていませんでした。

 そのあと、地元のお寺で秋の法要に参加し、みなさんにご挨拶させていただきました。それから、愛宕町のソフトボールの反省会に参加し、その後、イトーヨーカドーで街頭演説。演説終了間際、花巻北中のジャージを着た生徒が自転車でやってきて、「一緒にがんばりましょう」と握手をしてきたので、驚きました。私はいつも、「がんばってください」と言われるのも言うのも嫌いだと言っています。理由は、なんだか、自分はがんばらないけど、あなたがんばってくださいという、どこか他人事のような感じを受けるからです。ですから、私はいつもがんばりましょうと言っています。彼はこのことを、以前、ホームページの日記で読んでいたらしく、それを私に言ってくれたわけですが、なんだかとてもうれしかったです。

 そのあと、アルテ前で街頭演説をやり、終了後、挨拶回りと県政報告会の案内に回ってきました。夜は、台温泉と双葉町で2件、イベントと会合をはしごしてきました。


9月23日(土)

『里を歩く権現様』

 今朝は早起きして、事務所で事務仕事をやりました。お昼前から挨拶回りに出て、午後は大迫の三社祭でおみこしを担ぎました。愛宕神社、金比羅神社、早池峰神社の合同例大祭なので、みこし、露払いなどの総勢200人の行列がそれぞれの神社を回って歩きます。今日は、江戸担ぎの手ほどきを受けました。金比羅神社を出発したところで、次の会合のため、失礼しました。車を停めてある総合支所の駐車場に歩いて向かっている途中、目抜き通りから外れたわき道から神楽の音色が聞こえてきました。見に行くと、民家の前で権現様と子供たちが神楽の舞をやっていました。こうして民家を歩いて回っているのだそうです。観光客に見せるだけではなく、地域の暮らしの中にこうしてしかっりと根ざし、そしてそれが今なお続いているからこそ、神楽は「本物の民族芸能」という言うことができるのでしょう。観光客が来たときだけ披露するというのでは、これはもはや民族芸能の形骸化で、それは「偽物の民族芸能」ということになってしまいます。

 夜は、会合が三件あり、石鳥谷から花巻に行って、また石鳥谷に戻るという強行日程でした。先日、県政報告会に来てくれた高校の後輩と焼肉をつつきながらゆっくり話しましたが、目の輝き、そしてスポンジのように吸収していく学習意欲がなんだか新鮮でした。


9月22日(金)

『台所飲み』

 今朝は、花巻南温泉郷ファミリーマート前、湯口郵便局前、豊沢川土地改良区前、HAIKARAYA前で街頭演説をやりました。今朝も秋晴れ。清々しい朝でした。湯口郵便局前の交差点では、交通安全パトロール隊の方々が、子どもたちの登校の安全を見守っていました。最近、あちこちの交差点で、蛍光色のベストを羽織ったパトロール隊のみなさんを目にします。みなさん、自発的な意思でパトロールを買って出た地域住民です。自分たちのまちは自分たちの手で守る。お役所に任せておけばなんとかなるというこれまでの「お任せ民主主義」から脱却した、これぞ「本物の民主主義」のひとつの形です。

 午前中は挨拶回りをして、午後は事務所で事務仕事。締め切りがとっくに過ぎてしまった原稿、延び延びになっている時報誌の原稿になかなか手がつけられません。頭が痛いです。夜は、石神会館で県政報告会をやりました。開始5分前になっても誰もこないので、悪夢がよぎりましたが、直前に5人の方がお見えになりました。どんなに人数が少なくても、私は時間通りに報告会をスタートします。もう少し待ってれば何人か来るんじゃないかと淡い期待を抱いてしまいがちですが、逆に時間通りに着ていただいている方に対しては失礼になります。話し始めると、ぽつりぽつりと人が増え、最終的に10人になりました。友人の姉妹もおばあちゃんと一緒に来てくれました。質疑では、学校周辺に電灯が少ないといった話が出ました。

 夜は、報告会に来てくれた友人姉妹の実家にお邪魔して、「台所飲み」というのをしてきました。変な姉妹ですが、なぜか気が合います。鍋をつつきながら、お酒がぐいぐい進みました。なんともフレンドリーでユニークな家族で、楽しかったです。そのあと、二件会合に参加してきました。今夜は雲ひとつない満天の星空で、しばし夜空を眺めました。北斗七星が北北西のずいぶん低い位置にありました。もう秋ですね。


9月21日(木)

『ブロンズ像になった賢治先生』

 今朝は、吹張町信金前、上町岩銀前で街頭演説をやりました。先日、「夜遅い仕事だから、朝の街頭演説を聴きに行けない。今度、家の前でやってほしい」と言われていた方の家の前で、30分間叫び立てましたが、無反応。おそらくは熟睡中だったと思われるMさんの耳に演説は届いたんでしょうか。今日も秋晴れ。とても気持ちのいい朝でした。

 演説終了後、花巻農業高校へ。創立100周年記念事業のひとつ、宮沢賢治先生銅像除幕式に出席してきました。今日は賢治先生のご命日、しかも生誕110年の記念すべき年です。夜は、賢治祭も開催されます。羅須庭園にて除幕式が行われましたが、日差しが強く、まともに目を開けていられませんでした。銅像は、帽子をかぶりレインコートを羽織った賢治が手を後ろで組み農地を見つめている姿。重さ200キロに及ぶ立派なブロンズ像の制作を担当した橋本堅太郎氏もお見えになっていました。「権威を嫌う賢治さんの精神に反する」という理由で、これまで銅像はつくられたことがなかったそうなので、初の銅像ということになります。いずれ、形に残すことも大事ですが、賢治先生の精神を受け継ぐことの方がよほど大事で難事でもあります。私も含めて、花巻市民は賢治先生のことをどれだけ知っているのかと言えば、甚だ心もとなくなります。

 終了後、今度は花巻東高校に行き、スクール・コンサートを聴いてきました。演奏者は、チャイコフスキー国際コンクールで第2位を受賞するなど、国際舞台で目覚しい活躍をしているチェロ演奏者の藤原真理さんと、ピアニストの倉戸テルさん。本物に触れ、心豊かになれるひとときを過ごしてきました。それにしても、東高校の体育館に初めて入り、驚きました。体育館の名称は第1アリーナで、なんと3階にありました。

 午後は、何件か挨拶回りをして、夕方から事務所で事務仕事。夜は、鍛冶町のひまわりコミュニティーホールで県政報告会をやりました。10人の参加者を前に、一時間(ちょっとはみ出てしまいました)お話をさせていただき、その後、質疑応答の時間となりました。花巻空港の問題、除雪後の排雪の問題、秋田釜石道の直轄方式について、参加者からご意見や質問がありました。こんな意見もありました。「県議は県の仕事をするべき。たとえ花巻選挙区の県議でも、花巻のことではなくて、県北・沿岸の問題に取り組むべき。花巻市のことは花巻市議がやるべきことだ」と参加者のひとり。当たり前と言えば実に当たり前のことなのですが、なかなかこんなことを言ってくれる人はいません。口利き、利益誘導が政治の仕事だと考えている人がまだまだ多いなかにあって、こういう有権者がいるのには救われます。同級生の女性も、仕事が終わったその足で、初めて話を聞きにきてくれました。同級生を目の前にするといつも以上に緊張しますが、やはりうれしいものです。

 夜は一件地元の会合に出席しました。地元の方々は、本当にあたたかいです。私も肩肘はらずにお付き合いすることができます。みなさん、息子のようにいろいろ心配してくれ、かわいがってくれるので、本当にありがたいです。そのあと、事務所に戻って、事務仕事に追われました。


9月20日(水)

『ベストホームページ賞』

 今朝は、桜台一丁目交差点、花巻駅西口岩銀前、西大通り二丁目交差点で街頭演説をやりました。西大通り終了後、近くでお店をやっている方に声をかけていただき、コーヒーをいただきながら、しばらくお話をしてきました。私が無所属でいることについて心配しているようでしたので、なぜ無所属でいるのか説明してきました。午前中は、石鳥谷で挨拶回り、お願いごとに回り、午後は事務所で事務仕事。夕方、なんとか退院してきた姉が、花巻に一時帰省で帰ってきました。何はともあれ、一安心です。夜は、ある先輩市議と懇談してきました。とても人間的に深みのある方で、いろいろ勉強させていただきました。やはり、人間、育ってきた環境、境遇というのは大きいですね。

 今日、友人から連絡が入り、マニフェスト大賞ベストホームページ賞に、私のホームページがノミネートされたことを知りました。友人が応募してくれていたのですが、ノミネートされたとあっては感謝です。マニフェスト大賞とは、全国の地方議員を対象に住民の利益に資する政策を提言した会派または個人を表彰するもので、北川正恭・前三重県知事が所長を務める早稲田大学マニフェスト研究所が主催しています。審査員は、北川さんの他、前宮城県知事の浅野史郎さんなどが名を連ねています。議会報告・マニフェスト報告・公約の検証などを含んでおり、理解しやすいものとなっているなど、議員としての活動・業績などの情報を十分に提供するものとなっているか?また、真新しさ、インパクト、面白さ、分かりやすさなどが審査基準になっているようです。11月には受賞が決定するとのことですが、果てしてどうでしょうか。

 最後に、今日の自民党総裁選についてひとこと。下馬評通り、阿部晋三さんが圧勝しました。私は今回の総裁選に関心が持てなかったというか、ある種の違和感を覚えていましたが、同様に違和感を覚えていた浅野史郎さんが、おとといの朝日新聞朝刊のコラム(「新首相は即座に衆院解散を」という刺激的なタイトルが目に飛び込んできた)で次のように書いています。

「政党にとっては、政策の実現こそが存在意義である。その政党が、『政策よりも、国政選挙の顔として勝てる人』ということを基準に総裁を選ぼうとしていることは、政党としての自殺行為に近い。郵政民営化という政策が争点だった昨年の『9・11選挙』に際して、郵政民営化法案に反対した自民党議員に対し、自民党総裁たる小泉純一郎氏が『刺客』を送り込んだ手法には、党内にも批判があったが、『政策実現こそ命』という政党の論理からいったら、あれこそがまともなやり方であった」。

 まったくもって同感です。小泉さんが目指していた政策がいいか悪いかは別にして、少なくともその政治手法に私は違和感を覚えませんでした。一時的とは言え、政党の本来の役割を取り戻したこと、また、常に独裁的だとの批判を免れませんでしたが、これほど民主的だった総理がこれまでいたでしょうか。郵政民営化の是非を国民に聞くと言って、「解散」という伝家の宝刀を抜き、普段選挙に行かないような政治に無関心な普通の有権者の足を投票所に向けたのです。それまで低下の一途をたどってきた投票率が、現行制度で過去最高の67.51%を記録したことからもそれは明白です。このことは、9・11選挙の翌日に書いた日記に詳しく書いてあります。


9月19日(火)

『花巻市観光統一サイン』

 今朝は、西宮野目交差点、二枚橋交差点、ローソン花巻インター店前、金婚亭前交差点で街頭演説をやりました。終了後、お昼過ぎまで挨拶回りをして、午後はある精神障害者社会復帰施設にお話を聞きに行ってきました。障害者自立支援法への対応で、各施設とも四苦八苦しています。施設側の自助努力が基本ですが、これにも限界があります。行政サイド、政治サイドも一緒になって考えていかなくてはならない問題だと改めて思いました。

 夜は、太田・大森公民館で県政報告会をやりました。6人という少ない参加者でしたが、それでも手は抜けません。いつも通り、一時間熱弁をふるってきました。質疑では、障害者自立支援法の問題、農政全般についての問題について、意見を交わしてきました。参加者のなかには、共産党の方、元市長選立候補者などもいて、質疑は緊張感あふれるものとなりました。参加者のみなさんに会場の準備と後片付けを手伝ってもらい、助かりました。終了後、親子で参加していただいた方のお宅にお邪魔して、農業について一時間ほどお話を聞かせていただきました。今夜は、農業について、「競争」と「保護」という相反する立場の方からそれぞれ意見を聞き、とても勉強になりました。そのあと、事務所に戻って、事務仕事、勉強をしました。

 今、「花巻市観光統一サイン設置推進プロジェクト」なるものが進行しています。みなさん、ご存知でしたか。今日、事務所に案内のポスターが届きました。このプロジェクトは、岩手県県土整備部の「いわてまちづくり支援事業」に委託認定を受けて実施される事業です。当たり前のように毎日このまちに暮らしている私たちは普段あまり気にとめませんが、花巻には豊富な観光資源があるにもかかわらず、道しるべとなるサイン(標識)は統一性がなく、不適切な位置に立っていて、実にわかりにくい、つまりは観光客にやさしくないまちとなっているのが現状です。これは、その現状を市民のチカラで打開すべく、観光サインのデザインを広く市民から公募し、市民の投票によって決定するという試みです。日頃、なかなか気づきにくい足元にある価値に目を向けるきっかけにもなるでしょう。


9月18日(月)

『なんちゃって北国の春』

 今日は市内各地で敬老会が開催されます。あいにくの空模様でしたが、各会場ともたくさんの老人のみなさんが参加されていました。午前中から午後にかけ、花巻北地区(桜台小学校)を皮切りに、花巻中央地区(花巻小学校)、花巻南地区(南城小学校)、太田地区(太田小学校)を回ってきました。

 花南地区では、突然、「来賓は歌を披露することになっているので、是非一曲どうぞ」と言われました。しかも、あかぺらで。参りました。さて、65歳以上のおじいちゃん、おばあちゃんを前にして、一体何を歌おうか?最初はみなさん分かる歌をと思い、「君が代」を歌おうかと思いましたが、それではあまりにも芸がないので、「北国の春」を歌うことにしました。

 「しらかば〜 あおーぞーら、み〜な〜みーかーぜー」と歌いだしはよかったのですが、途中から歌詞が分からなくなってしまい、あとは「ラララ〜ララ ラララララ〜ラーラーラ ラ〜」、そして最後にサビの部分だけ「あーの ふ〜るさとへ かーえろ〜かなー かーえろ〜かなー」と散々でした。

 太田地区はすごかったです。会場に入りきれんばかりの参加者でした。確か、240人という参加者でした。参加率は、52%。他のまちなかの会場よりはるかに高い参加率です。太田地区といえば、旧花巻市内でもっとも広い地域です。なぜ、こんなに参加率が高いのか?そのカラクリは、こうでした。各世帯でそれぞれ300円づつ出して、そのお金で送迎バスを走らせたのだそうです。ひとり暮らしのお年寄りが増えている世の中にあって、素晴らしいアイディアですね。

 敬老会終了後、四日町の公民館へ。花巻まつりのかさこしに参加させていただきました。同級生の親が多い地域なので、みなさん自分の子どものように接してくれます。そのあと、夕方からアルテ前で街頭演説をやり、夜はサッカーの練習に行ってきました。今度、中学、高校の同級生でチームをつくり、フットサルの大会に出ることになりました。高校時代、県選抜だった二人がいるので、足を引っ張らないようにがんばりたいと思いますが、今日の練習で自分の体力のなさに愕然としました。5分間のゲームを3試合もすると、もう限界でした。練習のあと、若い人の集まりと地元の会合に2件顔を出してきました。


9月17日(日)

『ワインまつり』

 今日は、まず山車の解体、後片付けからスタート。遅れての参加となりましたが、みなさんさすがに毎年やっているだけあり、たいへん手際よかったです。お昼過ぎから、大迫のワインまつりに行ってきました。驚きました。すごい人でした。神楽もたいへんな人でしたが、ワインも花巻が誇る立派な観光資源なんだと改めて思いました。そのあと、帰りがけに石鳥谷で挨拶回りをし、花巻の太田大森地区に移動して、あさっての県政報告会の案内をしてきました。

 夕方から、イトーヨーカドー前で街頭演説。土沢まつりに参加するため、東和に移動。顧問のはんてんを着させていただき、お神輿の先頭を歩くことになったので、残念ながらお神輿は担ぐことができませんでした。途中で失礼して、花巻へ。小舟渡の八幡神社の演芸祭、花北地区のお祭りのかさこし、笹間の八幡神社の演芸祭に顔を出してきました。夜は事務所で事務仕事。またしても、資料を読みながらソファーで寝てしまいました。


9月16日(土)

『病院へ』

 今日は朝から事務所で事務仕事をして、それから一戸の病院に行ってきました。まだ、しばらくかかりそうです。


9月15日(金)

『悪しき慣習』

 今朝は、金婚亭前交差点、胡四王一丁目交差点、Aコープ矢沢前で街頭演説をやりました。終了後、議会へ。今日は、議会運営委員会があります。10日前議運と言って、定例議会初日の10日前に開かれ、日程などの基本事項を協議します。ちょうど盛岡八幡宮祭り開催中で、県庁前の大通りを山車が通っていて、それを横目に議会に入りました。

 午後は、9月県議会定例会提出予定議案説明会が開かれました。この議案説明会は任意ということになっているので、出席していない議員もかなりいました。今定例会に提出される議案は、補正予算議案が8つ、予算関連議案が6つ、条例議案が12、請負契約議案が1つ、財産取得などその他の議案が4つです。具体的に挙げると、例えば議案にはこんなものがあります。補正予算議案には、地域振興部関連で、いわてへの移住を効果的に進めるために、県・市町村が一体となった事業展開を行おうとするための「いわてへの移住促進事業費」(補正予算額 1,715,000円)。条例議案には、総務部関係で、職員の休息時間を廃止するための「職員の勤務時間、休日及び休暇に関する条例の一部を改正する条例案」。このような提出議案について、各執行部からそれぞれ説明がありました。

 議案説明会終了後、議会制度等検討小委員会が開かれました。「ヤーレ、ヤーレ、ヤーレ」という八幡宮祭りの山車の掛け声が聞こえる中、私がこれまで、チラシや街頭演説、県政報告会などでことあるごとに問題提起をしてきた費用弁償の問題について、検討が行われました。論点としてあがったのは、日額旅費の支給額と支給区分について、議案調査のための休会日を支給対象としていることについて。これは、私が自らの時報誌「いわて考」No13の中で問題提起した論点です。私は、「日額旅費の支給額は実費支給にするべき。休会日の支給はやめるべき」と従来通りの主張をしてきました。出席委員も概ね検討していく必要があるという意見でしたが、自民党の委員がこれに異議を唱えました。議論は次回の検討小委員会に持ち越されました。いずれ、「良き伝統」と「悪しき慣習」をしっかり区別して議論していきたいです。

 議会終了後、姉が入院している一戸病院に行き、様子を見てきました。それから、花巻に戻って、会合に参加。その後、東和に移動して、ジャズコンサートを聴き、また花巻に戻って、地元の会合に参加してきました。


9月14日(木)

『危機管理?』

 今朝も6時に目覚めましたが、尾道で街頭演説をするわけにも行かず、しっかり目覚ましをかけ二度寝。朝食をしっかり食べてから、出発。新幹線の時間調整のため、尾道の千光寺公園を観光。上から眺める尾道は、情緒あふれる素晴らしい街並みでした。新大阪駅で昼食をとっている最中、母から電話が入りました。姉が肺炎をこじらせて、入院したとのこと。心配です。新幹線で伊丹まで出て、伊丹空港から飛行機で花巻へ。伊丹から、総務委員会のみなさんと一緒になり、50人の小型ジェット機の30席が議員と事務局で埋まりました。

 万が一、飛行機が墜落し、20人の県議が死亡したら、一大事です。ちなみに、新しい花巻選挙区の4人も搭乗していましたから、花巻選挙区は全滅ということになります。2つの委員会を同じ飛行機に搭乗させるのは、危機管理上、どうなんだろう?などと限りなく可能性の低いことを考えていたら、無事、花巻空港に到着しました。たとえ可能性が限りなくゼロに近くても、ゼロでない以上、それに備えるのが危機管理というものではないでしょうか。

 伊丹空港で買った神戸新聞一面に、陸上自衛隊のレバノン派遣が検討されていると記事が出ていました。イスラエル軍とイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラの戦闘では、民間人も含め、多くの犠牲者が出ています。民間人が寝ているマンションに、突然ミサイルが打ち込まれる。レバノン南部では、常に生と死は隣り合わせです。限りなく可能性が低い事故を想像し、心配している自分が暮らす日本は、本当に平和なんだなと思いました。

 事務所に直行し、事務員と打ち合わせ。夜は、大迫の亀ヶ森公民館で県政報告会をやりました。10人の方々に参加していただきました。質疑では、費用弁償の見直しへの激励をいただきました。他に、大迫病院の診療所化について、厳しい意見をいただきました。自民系の市会議員の方が参加してくれ、いろいろ突っ込まれ、緊張感あふれる質疑となりました。党派を超え、有権者のひとりとして、こうして県政報告に参加していただき、本当にありがたいことだと思いました。少なくとも、この市議は、選挙のことしか頭にないような議員ではないということがはっきり分かりました。私も、国会議員の国政報告があったら、自民であれ、民主であれ、有権者のひとりとして、国民のひとりとして、是非参加したいです。


9月13日(水)

『巨大ユーフォーキャッチャー』

 6時に目を覚ますも、ここは広島県。街頭演説をするわけにもいかず、二度寝をして、起きたら出発時間の10分前。すっかり、朝食を食べそびれてしまいました。

 移動中のバスの中で、携帯電話から岩手日報ニュースを見ると、競馬がトップニュース。先日の臨時議会の緊急質問で私が提案した中身(9月5日の日記参照)が概ね新しい方針として打ち出されていました。ようやく腹をくくったということでしょう。競馬組合の構成団体である岩手県、盛岡市、奥州市で、競馬組合が抱えている累積赤字330億円の肩代わりをするという案に、県民のみなさんの理解をえるのは決して簡単ではありません。丁寧に説明していく必要があります。

 いずれ、競馬を今、廃止すれば、400億の構成団体負担、雇用の問題、地域経済に与える影響、長い歴史のなかで育まれた文化の喪失という多くの問題が発生します。こうした廃止に伴う影響と、新計画案のリスクを比較して、県民負担は新計画案の方が軽くなるという見通しを県民に分かりやすく示し、また、これまで競馬組合から400億円以上の配当金が県を始めとする構成団体に拠出され、災害復旧などで助けられてきたことも説明しながら、県民の理解を得られるよう努力をしていく必要があります。

 さて、今日の午前中の調査先ですが、広島市環境局中工場という名称の清掃工場に行ってきました。この清掃工場の特徴はなんと言っても、従来の清掃工場のイメージを払拭したそのつくりにあります。ガラス張りの工場内は、まるで美術館のようで、まったく汚いという感じがしませんでした。これは、優れたデザインの社会資本を整備するために、広島市が進めている「ひろしま2045 平和と創造のまち」の事業の一環として建設された施設なんだそうです。ニューヨーク近代美術館などを設計した日本を代表する建築士、谷口吉生氏が設計したというのですから、それは素敵なデザインになるわけです。ちなみに、総事業費は約544億円。

 ごみピットに集められたゴミをクレーンでつかんで焼却炉に落とす作業をしていましたが、まるで巨大なユーフォーキャッチャーのようでした。同工場には、最新のごみ処理技術がふんだんに採用されていました。焼却灰などに含まれるダイオキシン類を無害化するために灰溶解設備で焼却灰を溶解固形化し、できたスラグを再資源化し、公共事業の材料として使っていました。また、焼却炉の余熱は工場内の冷暖房、給湯に利用し、近隣のプールや老人ホームへ温水を供給していました。周辺地域と見事に調和する環境保全対策を講じていた同工場は、環境の世紀といわれる21世紀のひとつの清掃工場の姿かもしれません。

 午後は、尾道市御調町に移動し、公立みつぎ総合病院に行ってきました。同病院は、周辺4市8町、人口約7万人を診療圏域とする地域の中核的病院になっています。同病院の特徴は、地域包括ケアシステムです。地域包括ケアシステムとは、病院を核として、保健、医療、福祉、そして地域住民が連携する地域ぐるみの包括ケア体制のことです。保健、医療、福祉の連携・統合のための機構改革を行うにあたり、首長、議会、町当局、住民の協力を得て、昭和58年に改革に着手。病院内に健康管理センターを併設し、町住民課の福祉担当部門と社会福祉協議会のホームヘルパー、厚生課の保健担当部門の保健師など、さらに昭和63年には国保担当部門を移管しました。このような体制になり、保健、医療、福祉の連携がスムーズになると、障害者手帳や介護手当ての交付、車イスやベットなど機器類の貸与、ホームヘルパーの派遣などの問題が短期間で解決されるようになったのだそうです。

 今夜、尾道に泊まりました。歩いている人は少ないのに、やたらとお店が多かったです。尾道ラーメンは、しょうゆベースで、瀬戸内の小魚を隠し味に使っていて、とてもさっぱりしていました。おいしかったです。


9月12日(火)

『日本初のホスピス』

 今日から3日間、環境福祉常任委員会県外調査のため、広島県に行ってきます。広島に行くのはこれが初めてです。新幹線で北上駅から東京へ。そして、羽田から飛行機で広島へ。早速、本日の調査先の広島県緩和ケア支援センターに行ってきました。

 同センターは、県立広島病院に併設されており、全国で初めて緩和ケア支援室、いわゆるホスピスが設置されました。「在宅緩和ケア」と「施設緩和ケア」の二種類あります。医療者や市民グループが14万人の署名を集めて「広島にホスピスを求める請願」を県議会に提出し、それが採択されたことを受け、広島県は、緩和ケアが受けられる体制づくりに本腰を入れ始めたのだそうです。現在、県内に8つの施設ホスピスがあるホスピス先進県となっています。ちなみに、岩手県は、ようやく一つ目のホスピスの目処がたったばかりで、ホスピス後進県となっています。3人に1人が癌で亡くなる時代、患者の苦痛の和らげ、人生最後の時間を自分らしく過ごせるように支えるこのホスピスは、今、全国に150施設以上あります。岩手県もこの緩和ケアをさらに充実させていく必要があるでしょう。

 調査が終わり、今日泊まるホテルの部屋に入ると、野球応援の音が聞こえてきました。窓から下をのぞくと、広島市民球場でカープがタイガースと戦っていました。私は子供のころから大のカープファン。感激でした。夜は、委員のみなさんと懇親を深めてきました。ホテルへの帰り道、ひとり、原爆ドームを通って歩いてきました。想像していたより、小さかったです。すっかり近代化した高層ビル群のなかで、そこだけ時間が止まってしまったかのような空間にしばらく立っていました。


9月11日(月)

『熊が出る集落』

 今朝は、松園町交差点、狼沢交差点、五郎城交差点で街頭演説をやりました。午前中は、お神輿の片付けを手伝い、午後は東京花巻人会の副会長さんに事務所に来ていただき、花巻近辺出身の産科医で、首都圏で勤務医をしている方の情報収集のお願いをしました。産科医不足を解消するためには、まずは産科医をリクルートしてこなくてはなりません。みなさん、情報提供よろしくお願いします。

 夕方は、先日の小山田高齢者コミュニティーセンターでの県政報告会の件で、小山田のみなさんにお詫びに行ってきました。当日、館長さん以下、何人かの方々が6時から会場を開けて、待ってくれていたのだそうです。翌日の臨時議会の準備に追われ、私が議会を出たのが6時。会場に着いたのは、報告会開始時間5分前でした。みなさんずっと待っていたそうなのですが、なかなか私がこないので、日にちを勘違いしたのかと思い、10分前に会場を閉めて、お帰りになったとのことでした。前もって、スタッフの誰かに会場に行ってもらうなど、二度とこのようなことがないように、対策を講じたいと思います。いずれ、小山田のみなさんにはたいへん失礼をいたしました。心からお詫び申し上げます。来月、仕切りなおしで報告会をやりますので、よろしくお願いいたします。

 花巻に戻って、何件か挨拶回りをして、夜は上太田・上関振興会館で県政報告会をやりました。20人近くのみなさんにお集まりいただき、お話をさせていただきました。質疑応答では、笹間バイパスの問題、熊が出没してリンゴ園が被害にあっている問題などが出ました。町場にも熊が出るご時勢ですから、山間部近くに暮らす人の不安は計り知れません。しかも、生計の柱まで食い潰されているということですから、穏やかではありません。市に熊の駆除をお願いしても、県が許可を下ろさないから駄目だという返答だったとのことですが、まずは熊行政が一体どうなっているのか調べ、速やかに対応したいと思います。


9月10日(日)

『静まり返った祭りの朝』

 早朝、友人のkくんに誘われ、静まり返った上町商店街の掃除に行ってきました。「群れるのが嫌い」と言って、祭には参加しないkくんですが、なぜか毎年こうして祭期間中の早朝、上町商店街の掃除をしています。理由は、「気持ちいいから」。やっぱりkくん、変わってます。それにしても汚かったです。ゴミがいたるところに散乱していました。町あげての観光祭りですから、きれいにして観光客を迎えたいものです。業者に丸投げもいいですが、自分たちで掃除するのも悪くありません。町に愛着もわいてきます。友人とたった二人での掃除でしたが、来年も続けようと思います。

 午前中は、地元町内会の神輿の片付けをして、その後、上太田へ。明日の県政報告会の案内をして回ってきました。お昼過ぎから、花巻初?のヨサコイグループ「花巻さくら舞虎連」の司会をやってきました。見る見るお客さんが膨れ上がりました。同じマイクを握るのでも、街頭で演説するのとはわけが違い、緊張しました。途中、二曲目がかからないというハプニングがありました。こういうときこそ、司会の力量が問われる場面になるのですが、私はしきりに謝るばかりでした。ヨサコイはとにかくキレと元気があり、見ていて気持ちよくなります。

 午後は、花北山車に同行し、上町へ。今日の午後の部のパレードは、上町商店街岩銀前をスタートし、なはんプラザまで。自分が今朝掃除をしたところを歩いているかと思うと、気持ちがよかったです。途中から雲行きが怪しくなり、ポツリポツリと降ってきました。夜は、石鳥谷のお祭りに移動し、夕食会で石鳥谷のみなさんと懇親を深め、そのあと、お神輿を少しかついできました。お神輿の途中でしたが失礼して、花巻のパレードに戻りました。途中、雨に濡れたせいか携帯が動かなくなり、花巻に着くなり、ドコモショップに直行。夜は、4カ所集まりをはしごし、たらふく飲まされました。最後の最後で雨に降られましたが、これでこそ花巻祭りといった感じもします。はんてんを合計7着着まわした花巻祭りでしたが、随所随所で、地域の底力を見ました。7月からあちこちのお祭りを見てきましたが、地域の祭りは地域の力を計るバロメーターでもありました。花巻もまだまだ、捨てたものじゃありません。


9月9日(土)

『わっしょい!』

 今日の午前中は、挨拶回り。午後から紙袋に五種類のはんてんを入れ、祭りに向かいました。花北山車の今日のコースはアップダウンがきつく、上り坂を引っ張るのも、下り坂を抑えるのも、一苦労です。こうして、お神輿をかついだり、山車を引っ張っていると、改めて花巻は城下町であることを思い知らされます。
 
 今夜は、山車の先導、花北山車、知的障害者団体の神輿、同級生の神輿、地元町内会の神輿と全部で5回、パレードを歩きました。祭好きの私ですが、さすがに疲れました。夜は、3カ所集まりに顔を出し、ヘロヘロになって帰ってきました。


9月8日(金)

『北松斎公に合掌』

 朝4時に事務所のソファーで目覚め。今日から3日間、花巻の観光祭りです。おとといの花巻神社例大祭から始まって、5日連続のお祭りウィーク。まったく事務仕事ができない状態なので、昨日の夜から泊り込みで事務仕事を一気に片付ける予定でしたが、半分も終わりませんでした。なんだか、今ひとつスッキリしない気分でしたが、はんてんに着替えたら、気持ちも切りかわりました。何しろ、年に一度の花巻祭りです。子どものころからずーっと参加しているこの祭りにはやはり特別な思い入れがあります。事務所にも軒花を飾りつけ、お祭りモードに。今日は一日事務所を事務員のMさんに任せることになりますが、もうこの道何年のベテランのようで、頼りがいがあります。

 9時。愛宕町の雄山寺に関係者が集まり、花巻の開祖、北松斎公墓前祭がとりおこなわれました。その後、産業祭りオープニングセレモニーへ。昨夜のどしゃぶりが嘘のように空は晴れ渡り、まるで真夏のような日差しの強さでした。午後は、地元の花北山車の出発式に出席し、半日一緒に回ってきました。山車に出るのは初めてでしたので、勝手が分からず、何度もタイヤに草履を踏まれ、しまいには鼻緒を切ってしまいました。夜は、パレードで同級生の神輿をかつぎ、またパレードのスタート地点に戻って、今度は山車パレードの先導。またスタート地点に戻って、今度は花北の山車のパレードに同行。花北の山車の陣地がある花北コミセンまで一緒に戻り、反省会。そのあと、二件回ってきました。慌しい一日でした。


9月7日(木)

『レトロな演芸会』

 今朝は、石鳥谷駅前商店街で街頭演説をやりました。今年卒業したばかりの北高の後輩が二人きてくれました。二人とも、早稲田大学の学生です。雨のなか、私と一緒に立ってくれました。自分たちから志願し、ノボリを持ってくれました。しかも、傘もささずに、一緒にずぶ濡れになりました。年齢は13も違いますが、頼もしい後輩を心強く感じました。いずれ、彼らも、花巻、岩手、日本の建て直しに参加してくれるでしょう。共に、がんばりたいです。

 午前中は、花巻神社の大祭に出席してきました。厳粛な空気のなかで、執り行われました。そのあと、直会に出席してきました。午後は、挨拶回り。夕方から事務所に戻って事務仕事、打ち合わせ。夜は、東十二丁目の「十二丁目演芸会」に行ってきました。昔は、西十二丁目があったことを知りました。東十二丁目に隣接する山の神、南城が西十二丁目だったのだそうです。そのころから合同で開催してきたお祭りなので、「十二丁目演芸会」というわけです。

 なんだか、昭和のにおいがぷんぷんしてくれるレトロな雰囲気で、まるで昭和にタイムスリップしたみたいでした。15年ほど前から、三年に一度と開催日程を変更したようで、「三年に一度だと、誰も文句を言うやつはいない」と地元の方。確かに、会場は満員御礼で、踊り手も15団体。今年見た夏祭りのなかで、もっとも活気がありました。地域の力が薄れる中、地域の祭りを継続していく知恵ですね。会場準備は、早朝5時半からの朝飯前仕事。これだと出勤前の若い人たちも仕事を言い訳にできないとのこと。若い人が手伝いにくれば、「あの若いのは、どこそこの孫だとなって、一緒に汗を流しながらつながりができていく。それが地域社会だべ」。

 雨よけとして客席にかぶせた青いビニールシート。降り続く雨が溜まり、ところどころシートが沈んでいました。溜まった水を逃がしてやらないと危ないな〜と思っていた矢先、頭上から溜まった水が落ちてきて、背中がびっしょり。思わず、「うわーっ、冷てー!」と悲鳴をあげてしまいました。

 夜は事務所で事務仕事。ソファーで仮眠をとって、朝まで仕事をしました。

 


9月6日(水)

『産土の大神様と歩く』

 今朝は、一日市商店街、浅沢鳥海神社前、松園コイン洗車場前で街頭演説をやりました。今朝も地域のパトロール隊の方々が子どもたちの登校を見守っていました。朝から本当にご苦労様です。

 今日から花巻神社の例大祭です。私にとっては初めての例大祭です。私が13年前に上京したあとに、花巻祭りと分離してやるようになったようで、昨年も衆議院選挙の手伝いで横浜にいたので、見るのも出るのも今年が初めてとなりました。午前中から、御神興渡御が行われました。これは、花巻神社の産土の大神様を神輿にお遷しして、氏子区域を親しくお渡りいただくお祭です。大神様が年に一度、里の暮らしを直接に見にいく、また氏子のみなさんが大神様を拝む機会でもあります。神主、総代始め、総勢100人近くが行列をつくって、地域を歩くわけですが、私も花巻神社の出発から一緒に歩きました。10時から18時まで、一緒に歩いてきました。途中、坂本町稲荷神社の例大祭にも出席してきました。夜のパレードでは、地元の神輿に参加しましたが、途中から雨が降ってきて、ずぶ濡れになりながら、神輿を担ぎました。

 今夜も盛岡で会合があったので、着替えてから、電車で行ってきました。


9月5日(火)

『初登壇』

 今朝は、花巻駅前、御宿玉川前、市役所前で街頭演説をやりました。終了後、議会へ。午前中の子育て支援・少子化対策特別委員会では、「児童虐待とネグレクトについて」と題して、県立大学の三上邦彦助教授からご講演いただきました。

 午後の臨時議会で、初登壇してきました。2点、質問してきました。緊急質問の要旨は次の通り。

1.地方公共団体が競馬という公営ギャンブルを運営する目的について

 競馬という公営ギャンブルを県が運営するにあたり、これまでは「地方財政を支える」というそれ相当の正当な目的がありました。競馬法第23条の9によれば、「都道府県は、その行う競馬の収益をもつて、畜産の振興、社会福祉の増進、医療の普及、教育文化の発展、スポーツの振興及び災害復旧のための施策を行うのに必要な経費の財源に充てるよう努めるものとする」と明記されています。実際、戦争で疲弊した各地方自治体の財政を救ってきたという歴史もあり、本県においても、岩手競馬の収益から407億円の配当金が拠出され、県財政を支えてきました。
 しかしながら、岩手競馬を取り巻く環境の変化に伴い、現在、県財政を支えるどころか、むしろその足を引っ張ってしまっているような状況であります。競馬という公営ギャンブルが、本来の目的を果たせなくなってしまった以上、2つの選択肢しかないと考えます。
 @廃止
 A目的を変えて、存続。
 存続の場合は、例えば、60年近い歴史で日本独自の競技スタイルを築き上げ、戦後の日本文化のひとつになってきたこと、あるいは本県の馬事文化を継承するといった観点から存続する道を探ることもひとつでありますが、この場合、最低でも収支均衡が必要になるものと考えます。
 県は、競馬を存続していく考えだが、そのためには新たな目的を設定する必要がある。一体、地方公共団体たる県は、何のため競馬をやるのか、県民が感じている素朴な疑問もまさにここあります。その目的については、改めて、知事のお考えをお伺いしたいと思います。


2.岩手競馬を存続する場合の構成団体の負担の必要性について

 これまで、岩手競馬再生にあたり、売り上げ拡大を模索しながらやってきましたが、今年度4月8日から8月28日までの延べ65日間で、前年度比94%と、売り上げが思ったように伸びていない。今後も、これ以上の売り上げ拡大が期待できないので、さらなる経費の削減に取り組みながら、売り上げ収入の25%の枠内で事業を実施していくという事実上の戦略転換を行おうとしております。
 しかし、実際は、競馬組合が抱えている累積赤字137億円分が足かせになることは目に見えており、25%以内の枠内でやりくりしていくのは現実的に考えて、不可能であります。
 そこで、単刀直入にお聞きします。県として、この累積赤字分を負担する考え、覚悟はあるのか。また、他の構成団体である盛岡市、奥州市に対して、同様に負担を求めていくことはあるのか。さらに、累積赤字を解消した上で、それでも尚、単年度赤字になるのであれば廃止という基準を設けることを提案したいと思うが、これについてはどのようにお考えか。知事のお考えをお伺いしたい。

 私を含め7人の議員が質問に立ちましたが、具体的な中身に踏み込んだ答弁は出てきませんでした。知事は、今月16日に開催される競馬組合議会で改定実行計画の見直し計画案の成案を示すという姿勢に徹していましたが、これはこれで手続き論的には、筋の通った姿勢というか、知事としてもこうとしか答えようがないのだと思います。競馬議会と県議会の位置づけから考えても、今日臨時議会を開催したことには疑問が残りました。実に緊張感に乏しい緊急質問でした。

 夜は、花巻神社例大祭の安全祈願に出席してきました。今日、花北地区の山車も完成したようで、「ここ数年のなかで、最高の傑作」らしいです。この山車づくりも、地域の力があってこそできます。山車は、地域の力のお披露目でもあります。夜は、会合があり、電車で盛岡に行ってきました。


9月4日(月)

『月明りを背に』

 今朝は、四日町三丁目、松園町交差点、西宮野目交差点で街頭演説をしてきました。今日は常任委員会の開催日。久しぶりに盛岡に行ってきました。本日の環境福祉常任委員会では、保健福祉部関係で継続調査となっていた医療制度改革について説明を受け、医療局関係では継続審査となっていた請願陳情「岩手県立大迫病院の充実を求める請願」の審査を行ってきました。保健福祉部では、「医師の確保に係る新たな組織の設置」について、何点か質問してきました。

@業務内容に、訪問誘致活動の強化とデータベースの作成とあるが、診療科目を限定するのか。例えば、岩手県内で不足している産科医、小児科医など。

A県全体の医師数増加のための環境整備ということだが、民間病院も含むのか。

Bデータ収集に基づく訪問誘致活動は言ってみれば、都市部にいる本県ゆかりの勤務医の一本釣り。同時に、ホームページで募集するなどして、投網をかけていく必要もあるのでは。本県出身者ではなくとも、地方で開業したいと考えている医者がいないとも限らない。

C地方に医者が足りないのはそれなりの理由があるから足りないのであって、そこを解消しなくてはならない。医者にとって、岩手にくるメリットがなければ、いくら情報収集して、訪問誘致しても、効果が見込めない。例えば、産科の場合、産科医の過酷な勤務環境を緩和する院内助産院(産科医と助産師で役割分担)を導入するなど、岩手モデルを他の地域に先駆けて構築し、その上でリクルートに行くなどすれば、より効果的ではないか。

 これに対して、保健福祉部長は次のように答弁しました。

@しぼらず、全体をやる。県内で不足しているのは、産科医、小児科医に限らず、内科医も足りない。まずは、どの診療科目の医者が不足しているのか、ニーズの把握をする。

A公的病院が主。民間から相談があった場合は受ける。

Bもうすでにやっている。(←知りませんでした)

C従来は奨学金モデルが主だったが、大きく舵を切る必要がある。岩手でやるのがメリットになるというモデルをつくっていくことが必要。部内で議論している。院内助産院についてはすぐにはできないが、検討していく。

 大迫病院については、引き続き継続審査となりました。お昼から議員運営委員会に出席し、午後は県政調査会。18時過ぎに盛岡を出て、急いで今夜の県政報告会会場、東和の小山田高齢者コミュニティーセンターへ向かいました。会場に到着したのが開始5分前。ところが、会場はまっくら。玄関も閉まっていました。事務員に確認したところ、鍵の開け閉めは管理人さんがやってくれることになっているとのこと。事務員も帰宅してしまっていたため、管理人の連絡先も分からず、途方に暮れていました。すると、7時過ぎに、近所の女性と男性がやってきました。せっかく来ていただいたので、ここでやりましょうと提案をして、初の野外県政報告会となりました。

 おふたりには、コミュニティーセンター軒下のベンチに座っていただき、月明かりの下、1時間お話をさせていただき、そのあと30分間質疑の時間をとりました。三人とも、蚊に食われまくりでした。開始時間前に来ていただき、会場が開いていないので、そのまま帰ってしまった方もいらっしゃったかもしれません。みなさんにはたいへんご迷惑をおかけしました。なぜ、このようなことになったのか、明日、原因究明したいと思います。

 帰り道、ある公民館の前を通ったら、なんと中で踊っている権化さんの頭が見えました。何をしてるんだろうと思って、立ち寄って見ると、花巻祭りで披露する神楽の練習を、地元の子どもたちがしていました。教えているのもやはり地元の方々でした。教える側も教わる側も、真剣そのもの。ときに笑顔を見せながら、この小さな公民館のなかで、世代から世代へと文化の継承が行われていました。神楽にはマニュアル本はありません。口伝です。伝える人がいなくなったら、そこで終わりです。世代から世代へと何世代にも渡って伝承されてきた神楽は、まさに地域の宝だな〜と改めて実感しました。夜は、事務所で事務仕事、勉強をしました。


9月3日(日)

『ファイト一発?』

 今朝は、毎月恒例の一日市の朝市からスタート。玉子の無料配布のお手伝いをしました。今日も200個、あっという間に品切れ。先月から、我が事務所前でも、支援者の畑で採れた野菜とお花の販売をやってますが、今日もお蔭様で完売しました。午前中は、知的障害者授産施設「こぶし苑」の夏祭りに出席し、ご挨拶をしてきました。

 林家ぺーばりに写真好きな利用者さんがいて、私のことを「岩手県議会」と呼びます。この日も、遠くから「岩手県議会!こっちきて写真一緒にとって」と呼ばれ、行きましたら、ご年配の来賓の方に「写るんです」を渡して、「ファイト一発って言って撮って、ファイト一発って言って撮って」と妙な指示をだしました。その来賓の方は、戸惑いながらもやや恥ずかしそうに「ファイト一発」と言って、シャッターを押していました。いやはや、障害者にとっては、肩書きなどどうでもいいこととはいえ、ヒヤヒヤしました。昨日出会った女性が代表をされている花巻さくら舞虎連のみなさんも出演されていました。炎天下の下、汗だくになりながらのよさこい、すごい迫力でした。

 お昼前に退席し、同級生のお神輿の蔵出しのお手伝いへ。アルバイト代がでるわけでもない、一文の得になるわけでもないのに、貴重な休みの時間を割いて、神輿を組み、磨く同級生たち。これぞ、結いの精神。お神輿も、結いの精神なくしては成り立ちません。

 午後は、13年ぶりに昔のスキー仲間に再会して、相談を受けました。彼は今、横浜に暮らしていますが、障害児が生まれ、花巻に戻ってくるかどうか悩んでいました。確かに制度的には横浜の方が進んでいますが、障害児が大きくなったときのことを考えると、私はつながりというセーフティーネットが張り巡らされている地方の方がいいような気がします。私には、発達障害の同級生がふたりいましたが、ふたりがこの花巻で変わらずに生きている姿を見ていると、なお更そう思います。彼らは、おそらく、他の土地では生きていくのは難しいでしょう。子どものときから、みんなふたりを見て、障害があることを知っていて、それなりに付き合っている。そして何より、ふたりには、両親、兄弟もいて、そのつながりのなかで、支えられながら、生きています。

 小学校6年生のとき、私はスキーの練習中、立ち木に激突し、複雑骨折をしました。そのときに、彼の家族に助けられました。あれから20年あまり経ち、その間、交流はありませんでしたが、困っている現状を知った私は、理屈抜きに、できる限り力になりたいという気持ちが生まれました。これも、ひとつのつながりですね。その後のヨーカドー前の街頭演説も一時間、私の目の前で彼は聞いてくれました。引き続き、アルテ前で街頭演説。今日は日差しが強かったですが、5人の方から冷たい飲み物の差し入れをいただき、助かりました。本当にありがとうございます。

 夜は、こぶし苑の地域交流会に参加してきました。利用者さんもアルコールが入り、いつもよりずいぶん陽気でした。酒を飲むと、障害者も健常者も何もあったものじゃない、同じ人間なんだなと思いました。それから、湯本の支援者宅で、カツオパーティーを三家族で賑やかにやり、それから、双葉町に移動し、二件、会合に出てきました。20代キャピキャピの女性に、なんで税金を払うのか、サワー片手に講義してきました。


9月2日(土)

『後川上流探検隊』

 今日の午前中は、「全国神楽大会ハヤチネ2006」に出席してきました。いや、それにしてもすごい人でした。いつもはのどかな大迫で渋滞らいしい渋滞にはまったのは、今日が初めて。オープニングの15分前というにも関わらず、会場の愛宕山公園特設会場は、全国から集まった神楽をひと目見ようと人でごった返していました。大迫で全国神楽大会をやるのは10年ぶりとのこと。10年前は、2日間で2万人来場したのだそうです。来賓席はステージの真横なので、踊り手の横顔しか見えません。なので、早々に退席し、観客席の中に分け入り、正面から鑑賞しました。

 お昼前に会場を出て、来週の県政報告会の案内に小山田へ。花巻に戻り、イトーヨーカドー前で街頭演説。

 午後は、市民団体「後川に清流をとりもどす会」の企画、後川上流探検に参加してきました。小舟渡の新川上流をスタートし、志戸平の新田堰地点まで、全部で15ポイントの水路を視察してきました。私たちの生活に欠かすことのできない水が、豊沢ダムからどのような経路を通って町まで流れてくるのか、よく分かりました。当たり前のことですが、上流に行けば行くほど、水路の幅が狭くなり、水の透明度も増していきます。花巻南高校横の分水施設には、洪水を防ぐための工夫が凝らされていました。湯口から放流される中央幹線水路がこの地点で、後川系水路と大堰川系水路に分かれます。大雨が降ったときは、さらに豊沢川へ流すことで、洪水を防いでいました。ある程度の水量を越えると土地改良区の担当職員の携帯に自動的につながるようになっており、担当者はここに飛んできて、豊沢川への水路を開けるのだそうです。

 この地点には、花巻の水のドラマを伝える二つの記念碑が建っていました。ひとつは、宮沢賢治が稗貫農学校時代に夜水引きに通った所を記した「渇水と座禅」の碑。もうひとつは、豊沢ダム建設に尽力されたことの顕彰碑「平賀千代吉翁の碑」。昔は、渇水のときは人殺しが起きるなど、水げんかがしょっちゅうあったのだそうです。今私たちがこうして水の恩恵を受けることができるのは、先人の努力があったからこそなんですね。水を通し、花巻の歴史も勉強することができました。ガイドを務めてくださった豊沢川土地改良区の職員の方の説明がとても分かりやすくて、面白い探検でした。また、土地改良区が直面している問題も知ることができました。みなさん、土地改良区って、何やってるところかご存知ですか?是非、一度、勉強していみてください。みなさんの生活に深く関わっています。それにしても、花巻のことをなんにも知らないんだな〜と痛感しました。

 夕方からアルテ前で街頭演説をやり、夜は、花巻温泉で開催された全国神楽大会のレセプションに出席してきました。そのあと、松園町の夏祭りに寄ってきました。打ち上げにもお邪魔させていただき、みなさんにご挨拶してきました。民謡の大会で優勝したことがあるという女性がいらっしゃって、私の大好きな「南部俵積み唄」をリクエストすると、よろこんで引き受けてくださり、参加者全員、手拍子をしながら、大合唱してきました。「♪この屋旦那様は 俵積みが大好きで〜」という出だしがたまりません。小学生のときに運動会で歌ったか踊ったかよく覚えてませんが、とにかくこれを聞いて以来、とても好きになってしまいました。いつか、自分で歌えるようになりたいです。最後は、同級生のお神輿の地固めに顔を出してきました。


9月1日(金)

『井の中の蛙』

 今朝は、胡四王一丁目交差点、Aコープ矢沢前で街頭演説をやりました。午前中は東和を挨拶回りし、午後は石鳥谷を回ってきました。夕方、来週火曜日に行われる競馬組合の臨時議会の質問の通告を終えました。本会議場での質問は、事前に執行部に対して、どのような内容の質問をするのか通告をしなくてはなりません。これに対して、執行部が答弁をつくり、本会議場で知事、三役、該当部局長が読み上げるという形式です。答弁者はこちらで選択できます。今回、私は競馬を所管している農林水産部の部長を答弁者に指名しました。夜は、車イスの生活をしている知人の家で、仲間が集まってから揚げパーティーをやりました。

 先日、東京のシンクタンクで働いている大学時代の友人に聞きたいことがあり、久しぶりにメールを送ったところ、MBAを取得するためにフランスの大学に留学中との返事が。大学には、フランス人はもとより、インド人や中国人、イスラム教徒など、多様な人種が集まっていて、刺激的な毎日を送っている様子でした。大学時代、学校のゼミ、あるいはサークルの仲間内で、しょっちゅう国際関係について議論していました。今では、目の前の現実に追われるあまり、よその国のことに関心を持てず、新聞の国際面にも気を止めることがなくなりましたが、彼の近況を聞いていて、足元をしっかり固めつつ、やはり意識して外の世界にも目を向けていないと、井の中の蛙になってしまうな〜と感じました。日本が鎖国しているならいざ知らず、国際関係のなかにしっかり組み込まれている以上、世界情勢とは無縁でいられませんからね。



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